手放されなかった
主の生活が大変さを極めていただろうと思われた時期に
わたしは手放されなかった。
その選択肢もあったであろうに···
わたしが主の生活の安定を望んでいることを主はご存知で、主もまた自身の生活を大切にしたいという部分での想いは一致していた。
なので、主の生活の妨げになると仰られたことに関しては、出来るだけ指示に従った。
連絡があまり取れない不便さと寂しさはあったけれど、時々、垣間見せていただける日々のご様子を嬉しく思っていた。
今は、主の生活が少しは落ち着いたのかどうか知ることなく、日々のご様子も分からないまま。
わたしは主を想うけれど、主は···?
「自分がするべき事に集中して行いを正し、結果を出して喜ばせろ。」
なのだろうか?
でも、隠されればわからない分、余計にいろいろと思い考えてしまう。
手放されなかった ということは、
少しは大切に思われているということなのか···?
「想い」を語ることのない主の心中をどのように解釈すれば良いのか。
悩んでしまう。
話さなくても解る。
その域には、まだまだ年数が浅く、届いていない。
その時に「手放されなかった」
あるのは、その事実だけ。
喜んで良いものなのか、どうなのか。
それもまた、わからなくて悩む。